社会のグローバル化に伴い,数学教育研究の国際化,グローバル化が様々な形で進行してきています.その中で,筆者は,これまで国際的な共同研究に関わったり,国際会議の運営に関わったりする機会を持ってきました.そのような経験の中でいつも目の当たりにしてきたのは,第一線で活躍する女性研究者が数学教育研究界で果たす重要な役割です.
以下では,当方が直接的に関わった研究の中から,The Learner’s Perspective Study(「学習者の観点からみた授業研究」:略称LPS)の創設とその後の展開の中で交流のあった女性研究者C. Keitel(ドイツ)やB. Kaur(シンガポール)らの活躍に触れてみたいと思います.また,「学校数学におけるカリキュラム改革」に関するICMI Study 24の開催とそのまとめを共同で行っているR. Vithal(南アフリカ),編集委員を務めている国際研究誌ZDM: Mathematics Educationの編集長(Editor-in-Chief)のG. Kaiser(ドイツ)ら,仕事を一緒にしてきた中で垣間見た女性研究者の行動の特徴や意思決定の速さに触れてみたいと思います.
最後に,このような経験をもとに我が国の現状を振り返り,今後に期待することの一端を述べてみたいと思います.
今から25年ほど前に,第3回国際数学・理科教育調査(略称:TIMSS)の付帯調査として実施された授業の研究(TIMSS Video Study)に日本のコンサルタントという立場で参加する機会をいただきました.これは,当時の国立教育研究所の澤田利夫先生にお声がけいただいたものです.この研究にドイツから同じ立場で参加していたのは,Christine Keitel氏(ベルリン自由大学)でした.のちに彼女とは,メルボルン大学のDavid Clarke教授と3名で,TIMSSビデオスタディの研究成果を踏まえ,数学科授業をより多面的に分析し,その知見の補完を意図した研究プロジェクト「学習者の観点からみた授業研究(The Learner’s Perspective Study: 略称:LPS)」を立ち上げました(Clarke, Keiteil, Shimizu, 2006).
この新しい研究では,世界16カ国の研究者の参加のもと,各国の数学科授業の構造とその特徴について,授業者・学習者の双方の観点からみた授業の分析を行ってきましたが, 各国のリーダーは,若手研究者を巻き込んで,それぞれの国での分析を進めました.この研究を進めるために,我々は,アメリカ教育学会(AERA)や欧州教授学習学会(Earli)などの国際学会でシンポジウムを継続的に行ってきました.このようなシンポジウムの際には,必ず国際チームの研究ミーティングを実施しますが,国際共同研究では,様々な問題が生じます.そのような場合,プロジェクトの展開における具体的な内容はClarke教授や私達が議論をする一方で,大局的な意思決定が必要になる場面では,笑顔で重たい発言をするKeitel氏がリードしてその場が収まることが多くありました.実は,昼間の会議のみならず,ワインを手にした夜のディナーでもKeitel氏の笑顔が絶えず,昼間の会議のスムーズな進行を可能にしていました.なお,当時,ドイツからは,Keitel氏の博士課程の指導学生であったEva Jablonka氏が参加していましたが,彼女は現在も活発に研究を展開し,キングズカレッジ(ロンドン)からベルリン自由大学へと勤務先が変わっています.このJablonka氏は,Keitel氏をロールモデルにして一流研究者の仲間入りをしたのではないかと思います.
一方,このLPSから派生した研究プロジェクトも数多く生まれ,現在では,いわば「第2世代」の研究グループが新しいメンバーを迎えて広がった新しいコミュニティを形成しながら研究を展開しています(e.g. Mesiti, at al., 2021).もちろん,この派生プロジェクトでも,中核で活躍してるのは女性研究者です.
周知の通り,数学教育研究の世界には,Educational Studies in MathematicsやJournal for Research in Mathematics Educationなど並んで古い国際研究誌に,ZDM: Mathematics Educationがあります.筆者は,この研究誌の編集委員を務めるようになって15年ほどになりますが,この間,編集長(Editor-in-Chief)を務めるGabriele Kaiser氏の(ドイツ)リーダーシップに感嘆するばかりです.
国際研究誌ZDMは,テーマ設定に基づく特集号のProposalの採択によるInvitationのみの形で論文投稿,査読が進行する特殊な形式での編集が行われます.全ての号は,特集の編集者をGuest Editorの形で迎え,内外の研究者の厳しい査読によってその号が構成されていきます.年間7回の刊行がありますので,特集テーマがそんなにあるのか,と思いますが,Kaiser氏は,様々な国際会議に参加したり,研究会の動向に常にアンテナを張ったりして,また編集委員会のメンバーに様々な「ボール」を投げて,数学教育研究界において重要な,しかもUp to dateな課題を提示し続けています.常時,2,3年先までの特集のスケジュールを決めながら,Proposalsを受け入れて議論しています.
彼女は,このジャーナルの刊行全体に責任を持って刊行計画を綿密に立てる一方,ここの論文の査読の状況をモニターし,場合によっては,論文やその査読の内容についてもGuest Editorと議論をして,ジャーナルの質を不断に高めようとしています.この一連の編集長としての活動は,新分野の開拓や,複合研究領域へのチャレンジとリンクして進められており,彼女の小さな体のどこにエネルギーがあるのか,目を見張るばかりです.
このZDMで,私も数回,Guest Editorを務めましたが,例えば,シンガポールのBerinder Kaur氏と担当した数学の教授・学習に関する国際比較研究に関する特集号(Shimizu & Kaur, 2013)では,一方ではKaur氏の「シンガポール方式」とでもいうべき,期限を切って仕事を着実に進める仕事の速さと,全体としての特集号の質をいかに高めるかについてのKaiser氏の的確なアドバイスなしでは,難しい仕事だったと思います.
国際数学連合(IMU:International Mathematics Union)に設置されている数学教育国際委員会(ICMI:International Commission on Mathematics Instruction)は,数年に1度,現代の数学教育に関する重要なテーマに関する研究組織を構成し,ICMI Studyという研究活動を継続的に実施しています.この会議は,論文を投稿して受理された者の中から,特に選抜された100人程度のメンバーのみが参加できる独特の方式で開催される会議です.
筆者は,ICMI Study 24「学校数学におけるカリキュラム改革」で南アフリカのRenuka Vithal氏とともに,会議のCo-chairを務めることになり,20018年11月にこの会議を日本で開催することになりました.一連の ICMI Study としては,初めての日本での会議でした.この会議の招待講演者には,米国コモンコアカリキュラムの数学執筆責任者・Bill McCallum氏(アリゾナ大特別教授)やOECDが推進するEducation 2030事業の担当者であるOECDシニア政策アナリスト・田熊美保氏らを招待することになりましたが,会議の企画段階から,IPC(国際プログラム委員会)内での意見の調整が難しい局面もあり,Vithal氏の決断に随分助けられました.
折からのコロナ禍で,この会議後に刊行することになっているStudy Volumeの編集作業は,難航しましたが,ほぼ2週間に一度のペースで行ってきたオンラインの会議で,様々な細部まで粘り強く議論して,どうにか編集作業もほぼ完了しました(Shimizu & Vithal, in press).
これまで,当方が直接的に関わった研究や,関連する仕事を一緒にしてきた中で垣間見た女性研究者の行動の特徴や意思決定の速さに触れてみました.翻って,我が国の現状はどうでしょうか.
社会的にはいつも「リケジョ」が話題になるほど,理数系の学問分野や教育関係者の女性の割合は低いのが現状です.例えば,日本数学教育学会の女性会員の割合も,わずか13.9%(2021年9月)です.海外の場合,一線で活躍する女性研究者が,次の世代のロールモデルになっているのではないかと思うことがしばしばあります.日本では,まだこの面でのスケールアップが十分でないかもしれません.
しかしながら,明るい兆しもないわけではありません.実際,2022年6月に日野圭子先生を実行委員長に開催される第10回春期研究大会では,創成型課題研究11件のエントリーのうち3件で,女性研究者がオーガナイザーを努めておられます.大学に勤務する女性研究者の数が近年増加傾向にあり,今後もこのような研究課題が増えていくことを期待しています.
数学教育研究者の養成を行う大学の博士課程で研究指導を行ってきた立場からは,結婚,出産,育児を含むライフサイクルの設計において,若手女性研究者が苦労しながらも奮闘する様子に触れてきました.今後,社会全体のサポートシステムの向上を背景に,女性研究者が活躍できる研究の世界が広がることを期待しています.