ジェンダーの視座を活かした「実世界と結びついた数学」 教材の評価と展望(JSPS科研費 JP18K02942)

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ジェンダーの視座を活かした「実世界と結びついた数学」 教材の評価と展望(JSPS科研費 JP18K02942)

ジェンダーの視座を活かした「実世界と結びついた数学」教材の評価と展望 瀬沼花子
中和  渚
関東学院大学准教授
中和 渚
Nagisa Nakawa
関東学院大学建築・環境学部所属(准教授)。専門は数学教育、国際協力。20代のときにイギリスへ留学した際、アフリカの留学生と触れ合い、アフリカ大陸に興味を持ち、ボランティアでザンビア共和国に滞在する。
アフリカのザンビアやケニアにおける
数学とジェンダー:思い出話から

気づけば、随分昔のことになってしまったが、私は2005年から2007年まで国際協力機構(JICA: Japan International Cooperation Agency)の青年海外協力隊[ⅰ]の理数科教師としてザンビア共和国に派遣され、数学教師として2年間ボランティア活動を行った経験がある。また、その経験を皮切りに、現在まで、アフリカを中心として、国際協力研究を実施してきた。近年はザンビアだけではなく、外務省無償資金協力によるケニア共和国における住民参加型の教育プロジェクトに参画し、現場の先生方と数学の授業について議論するという貴重な機会を得た。これらの経験から、ザンビアやケニアを事例として、数学とジェンダーの関わりについて私見を綴りたい。

ザンビアに滞在している時から「女子生徒は数学が苦手だ」というザンビアの一般論はよく耳にしていた。実際に、数学教師として勤務していた公立中学校[ⅱ]数学の授業での発言は男子生徒のほうが活発で、成績上位者はいつも男子生徒だった。周りを見渡すと理数系科目は全て男性で、女性の同僚がいなかったことも今、思い出した。その状況は日本で教員をしていた時とさほど変わらなかったので、これまでに違和感はたいして感じていなかった。そういう男性が多いという学校の環境もあってか、女子生徒の一部は数学の時間には、突っ伏して寝ていたり(なんせ教室には70名を超える子供が、2名がけの椅子に3、4人がぎゅうぎゅうに座っているので、数学以外の環境要因がその授業態度などに影響を与えていた気がする)、数学の授業を抜け出して、外で髪の毛を編んでおしゃべりしたりしていて、今思い出しても、残念ながら、授業態度、成績双方芳しくなかった、という記憶がある。小学校5,6年生の授業では、成績の良さは男女関わりがないように見受けられたが、中学校2,3年生になるとその学力差、情意面での差が顕著であった。

ボランティアの期間、顧問をしていた放課後の数学クラブでは、女子生徒の数は男子生徒と同じくらいで、男女関係なく楽しんでいた。地域のある学校を会場校として毎年開催される、数学クラブの大会に出場する際に、優れたプロジェクト、例えば、正多面体の製作や、二進法を利用した数当てゲームなどを、学校の代表として出展する時に選ばれたのは、全員が男子生徒だった。周りの近隣校から出場している生徒たちも、男子生徒が圧倒的に多かった。これらのことは、ジェンダーの問題に関わることだったのか、と今になっては考えてしまう。

少し話は数学から逸れるが、数学とジェンダーの関係以外で、私の記憶に鮮明に残っているエピソードがある。それは、当時、その大会に出場した時の男女の明確な役割分担である。その数学クラブの大会は、日本の部活の大会とは随分違っていて、ワイルドなものだった。炭や鍋、野菜などを生徒とトラックで会場校に運び、自分たちで食事を作る[ⅲ]。夜まで生徒たちと過ごし、教室で寝て、1泊2日で大会に参加する。食事作りの際には、女子生徒が先頭に立って分担して作っていたし、火おこし、重い荷物を運ぶ際には男子生徒が率先して行っており、自然とジェンダーによる役割分担ができていた。普段、学校でジェンダーの役割分担を生徒から感じることが少なかったため、このような生活場面で明確に役割が分かれていることに驚いた記憶がある。今まで考えたことはなかったが、生活場面でのジェンダーの役割分担と、数学学習におけるジェンダーについての関わりについて調べてみても面白いかもしれない。

月並みかもしれないが、ジェンダー関わりなく、女子生徒も数学で活躍してもらいたいと思っている。15年ほど前の経験なのでもしかすると、今は女子生徒も数学の授業で活躍しているかもしれない。例えば、ケニアの状況では、最近研究で行ったインタビューでは女子生徒も高校で理系科目を学び、数学を用いる職業に就いて、活躍している女性もいた。彼らの話を聞くと、高校で、理系科目の面白さに目覚めたという。ジェンダーの役割分担は、ザンビアのように類似の状況であるので、アフリカ全体を見た時に、希望を持てるエピソードである。

最後にもう一つ、今、一緒にザンビアの研究プロジェクトで働く数学教育のチームに参加するザンビア人研究者らは、男性と女性がほぼ同じである。若い女性も、経験がある女性もおり、多様性も感じる。将来への、希望の一筋の光である。言うまでもなく、能力についても男女差があると感じたことはない。彼女ら、ザンビア人の女性研究者たちは、高校や大学の現役の数学・数学教育の教員であり、観察眼も鋭く、頼もしい仲間である。

ザンビアやケニアの今の状況のように、世界的に数学分野で活躍する女性が場所を問わず、多くなると素直に嬉しい。