博士(教育学)
大学卒業後,20年間学校現場で勤務。浜松市内にて小・中・特別支援学校に勤務の後,広島大学付属東雲小学校に勤務した。2017年4月より,香川大学教育学部准教授。
数学教育におけるジェンダーを考える際に,Equity(公正・公平)の視点からとらえることは重要であろう(松島,2020;瀬沼,2021)。数学教育におけるEquity研究は,ジェンダーや障害,人種,民族,社会経済的所得の要因等による達成度の違いから研究がおこなわれている。本研究グループが研究協議を行ったオーストラリアの研究グループでは,Equityの要因は,社会経済的状況,ジェンダー,民族,地理的場所の4点から考察されている(Vale, et al., 2020)。本エッセイでは,ジェンダーを含むEquityについて感じていることを述べる。
本研究会では,2020年10月にオーストラリアの研究者とのミーティングを行った。筆者は学級文化に関する研究について話題提供した。それは,学級内のすべての子どもがいつでも,だれとでも,どんな内容についてでも対話できる学級の雰囲気がジェンダー・ニュートラルを保障する,ひいてはEquityを保障する学習を実現すると考えたからである。
子どもたちが数学学習において安心して発言することができるような学級文化は,どのように測定することができるのだろうか。例えば,ミーティングに参加していたForgasz, H.とLeder, G.は,大学生の数学に関する態度や信念,情意について調査している(Leder & Forgasz,2002)。この調査では,ICT機器を用いた質問紙調査を1日に6回,6日間にわたって調査を行っている。また,中学校3年生の数学に関するジェンダーへの気付きについての調査もある(Forgasz & Mittelberg,2008)。この調査では,数学に関するジェンダーの評価尺度を用いた質問紙調査をしている。前者の調査からはある時点での子どもたちの意識だけではなく,一定期間の調査の必要性とICT機器利用の可能性が見えてくる。後者の調査からは,子どもたちの意識を評価していく際の理論的な枠組みの重要性が見えてくる。
数学学習における学級文化研究は,理論的研究も大切だが,実際の学級に入り込み該当学級の学級文化を調査することから始めるボトム・アップ型の研究がスタートとなるであろう。質問紙調査や評価尺度を用いた調査は,調査データを点数化すれば量的手法が適用可能となる。しかし教育に関する研究データの多くは,もともとが質的データである。この質的データを分析するための理論枠組みは,これまで数学教育において多数提案されてきた(例えば,Sfard,2008;Duval,2017)。これらの理論的枠組みを用いて,学級文化の質的データを分析するという方法もあるが,質的データを理論的枠組みを用いずに分析していく方法もある。それは現象学を用いた分析方法である。現象学は,現象そのものを追求していく学問である。現象学という学問自体が理論だとも言えるが,ある理論的な枠組みを媒介として現象を解釈していく方法とは本質的に異なると言えるだろう。
学級内の子どもたちと教師によってつくり出される学級文化のような思考対象は,その対象そのものをリアリティをもって説得的に描き出すことで,分析の対象にできる側面があるのではないだろうか。例えば,幼児教育研究の領域では,言語を用いてうまく自分の思いを表現できない年齢の子どもたちの思いを,現象学を用いて描き出そうとする取り組みが数多くなされている(例えば,鯨岡,2005)。この分析では研究者の主観が重要視される。実際の子どもたちの事象の中に研究者が入り込み,その中で研究者が「Aくんは〇〇のように思っていたけれど,Bくんは△△のように感じているんだな」と間主観的に感じた内容を,学習者Aと学習者Bの思いとして記述するのである。このように記述すると,その記述は単なる研究者の主観であり,科学的ではないと判断されることが多いだろう。しかし現象学では,このような対象学級に入り込んでいるからこそ感じられる子どもたちとの間主観性(Trevarthen & Hubley,1978)を重視して,その様相を説得的に厚く記述することで分析を進めている。
このような間主観性をもとにした説得的で厚い記述を用いて,学級文化の存在やその変容を描き出すことは真に可能なのだろうか。実証的研究の数が極端に少ないため,本エッセイでその真偽を論じることはできない。しかし,子どもたちが安心して数学学習に取り組めるEquityな学級文化についての考察のための研究方法として,現象学を用いた研究が今後展開していく可能性はあるであろう。
子どもたちが安心して自分の思いや考えを他者と対話できる学級文化のある学級を構築するには,毎日の数学学習で他者の考え方やその基盤となる価値観を尊重し,自己の考えや自己の価値観との接点を見いだしながら,よりよい解決に向けて対話し続ける数学学習の経験が数多く必要となるだろう。このような毎日の数学学習における他者の価値観を大切にした対話の活動の積み重ねの経験は,学級内に民主主義を実現させ,子どもたちに民主主義的能力を育成することにつながる(松島,2021)。このような民主主義的な活動では,個人の考えだけでなくその基盤とする価値観を対象とした議論が生じ,子どもたち自身の価値観を更新したり,新たな価値観を生み出したりする。そのような一人一人の価値観を大切にしながらも,よりよい解決やよりよい生き方を探し続けるような学級文化の中では,自然とジェンダー・ニュートラルな子どもたちが育成されるのではないだろうか。毎日の数学学習に,個人の価値観を重視した民主主義的な数学的活動を実現させることが,ジェンダー・ニュートラルでEquityな学級文化をつくり上げることにつながるであろう。
学級文化,民主主義,そしてジェンダー・ニュートラルという概念は深くつながっていると思われる。これらの結びつきを強める数学的活動を,毎日の数学学習で実現し,積み重ねていくことが数学教育におけるジェンダー問題の改善の契機となるであろう。また近年,数学教育研究で注目され始めている数学学習におけるケア(Watson,2021)も今後注目していくべき概念であろう。さまざま側面から数学学習における学級文化を検討することで,民主主義的な学級文化も培われていくであろう。